home UO! topics 魚津で拓くBARの扉 – バーテンダーの可能性 –

  
  

Updated 2023.09.11

《 BAR Power GRAN 》バーテンダー | 佐々木 麗 (ささき うらら)


魚津で拓くBARの扉 - バーテンダーの可能性 -


#バーテンダー  #オーセンティックバー #クラシックバー

魚津で拓くBARの扉 – バーテンダーの可能性 –

Profile|Urara Sasaki

魚津では珍しいオーセンティックバー 《BAR Power GRAN》のバーテンダー。16年前にバーテンダーの道を志し、2007年に前身店である《Power - take it easy》をオープン。13年の経営を経て2020年12月、現店に移転した。2013新潟の地酒カクテルコンペティションプロフェッショナル部門/シルバー賞、第20回エリートバーテンダーカクテルコンペティション北陸大会/優勝(2014)、2015新潟の地酒カクテルコンペティション/ゴールド賞/新潟県知事賞/長岡市長賞/審査員特別賞、第20回全国エリートバーテンダーカクテルコンペティション中日本統括本部大会/ゴールド賞、ほか受賞歴多数

   

オーセンティックバー BAR Power GRAN

 魚津駅から徒歩5分ほどのビルの1階にあるオーセンティックバー「BAR Power GRAN(バー・パワー・グラン)」をご存知だろうか。落ち着いた焦茶色の扉を開けると、まず、カウンター越しの壁面いっぱいに並ぶ洋酒瓶の多さに目を奪われる。その広いバック棚の前で、皺ひとつ無い白いバージャケットに蝶タイを身につけ、屈託のない爽やかな笑顔で迎えてくれるのは、この店のマスターであり、バーテンダーの佐々木 麗(うらら)さんだ。

 オーセンティックバーとは、「正統派」とも言われるクラシックなバーを指す。そこには熟達した技術を身につけたバーテンダーがいて、訪れた客は、それぞれの時間とお酒自体を静かに楽しめる“大人の社交場”と言った趣のある場所だ。今年37歳の佐々木さんがオーナーを務めるには、いささか若いのでは?との先入観があったが、それは勝手な認知バイアスだとすぐに自分を恥じた。すでに16年のキャリアを持ち、遠方から訪れるバー通にも“いい店がある”と評価が高い。それもそのはず、佐々木さんは、銀座「毛利バー・グラン(MORI BAR GRAN)」のマスターであり世界的バーテンダーの毛利 隆雄(もうり たかお)氏[註1]お墨付きの知識と技術を持つバーテンダーの1人なのだ。カウンター内での “毛利バー” 仕込みの所作は、指先まで洗練されて美しく、佐々木さんがこれまで積み上げてきた濃い時間を垣間見ることが出来る。

気取りのない話ぶりと爽快な笑顔で迎えてくれた佐々木さん。広いバック棚の前では実際よりも小柄に見える。

魚津市に無いなら作ってしまおう!

 佐々木さんが初めてオーセンティックバーを知ったのは20歳のころ。知り合いに連れて行ってもらった富山市内にある老舗のバーで、初めて見るバーテンダーの流れるような手の動きやふるまいに、一目で虜になった。

「そこでクラシック・バーの世界に出会ったのがお店を持つ一番のきっかけですね。このお店で働きたいとか、その技術を勉強したいとかではなく、“それを作れる人になりたい!”って思って。でも、こういう店が地元の魚津市にないから、じゃあ私が作ろう!、と。」

自分の店を持つ場合、どこかのバーで修行をしながら資金を貯め、技術と自信を身につけてから独立するのがオーソドックスな流れだ。が、当時まだ若く、意欲だけに突き動かされた佐々木さんは、21歳になる年に現在の店の前身である「Power – take it easy -(パワー/テイクイットイージー)」をオープンした。

「今だったら怖くてできないんですけど。その時は何も考えてないんで、よし、じゃあコレを作れる人になろう。そのためには、バーテンダー協会に入ればいいんだ!みたいな、そんな単純な感じですね。ほんとに単純です。不安はゼロなんです。不安要素を考えないから、だから壁にぶち当たると、ああ、どうしようってなりますね(苦笑)。多分、皆さん最初からいろいろ考えてから行動すると思うんですけど。」

辞めたいと思ったことは?の問いに「いや〜、悩んでた時期があったはずです。でも…思い出せない(笑)」

2007年、こうして魚津駅近くの居抜き店舗で、母親の協力のもと、佐々木さんのバーテンダーとしてのキャリアが始まった。しかし、開店当初はカクテルを作る技術は独学なうえ、お酒も最低限のものしか揃っておらず、お店を営業しながら種類を増やすというような日々だった。それは、思い描いていたバーテンダーの姿からは程遠いものだった。

やりたかったのはこんな店じゃない!

「その頃は私自身、今より知識も少なく技術もなかったんです。とはいえ、カクテルを頼まれるお客様は、ほぼいなかったですね。当時はみんな焼酎やビールです。焼酎のボトルキープとか。それに応じたくはなかったんですけど、それをしないとお店が成り立たないので何年間か続けていましたね。でも、自分がしたかったのってこんなのじゃない!と思って、カクテルのバーとしてショットメニューだけにしました。それだけではやっぱり経営が成り立たなかったので、アルバイトも何年か続けながらの経営でした。」

その後もなかなか軌道に乗らない期間が何年も続いた。それでもPowerを閉めるという選択肢はなかったと当時を振り返る。バーテンダーとしての知識が浅いのと同様、ネガティブになる知識も持ち合わせていなかったのが幸いし、「そういうもんだ」と思っていたとか。ただひとつ、「Powerをこの先も続けていくにはどうしたらいいのだろう」と、それしか考えなかった。

「少しずつ技術が身についてくると、お客さんから『じゃあ今日は任せるよ』とか『何か甘くないカクテルを頼むよ』と言ってもらえるようになってはきたんですが、どうやったらもっとちゃんと私の仕事を知ってもらえるかな、と思うようになって。とりあえずバーテンダーの大会に出て、賞を取ればなんとかなるのかな?、みたいな。いつも単純です(笑)」

中途半端な現状を打開するための策として、とにかく賞がとれるまで頑張ろうと目標を定め、諸先輩方から指導を受けながら、しばらく大会への出場を続けた。そしてついに2014年、エリートバーテンダーカクテルコンペティション北陸大会で優勝という快挙を成し遂げる。

「新聞にも載せていただいて。それを見たお客様から『新聞見たよ!』とか『あの(新聞に載っていた)カクテル飲んでみたいんだけど』とたくさんの反響があって、そこからはガラリと状況が変わりました。
やった!狙いどおり、みたいな(笑)」

それからはPowerの経営も順調になり、こうして自他ともに認める“バーテンダー”として店に立つようになった。
そんな佐々木さんには、ずっと尊敬してやまない師匠がいる。前述にも登場した銀座「毛利バー・グラン(MORI BAR GRAN)」の毛利隆雄氏だ。

世界一と名高い「毛利マティーニ」を作ることを許された店にのみ、それ専用の「毛利グラス」が並ぶ。

伝説のバーテンダーの背中を追って

 佐々木さんが毛利氏を知ったきっかけは、母親の持っていた一冊の本だった。

「母が毛利さんの大ファンで。母が持っていた毛利さんの著書『MARTINI-ISM マティーニ・イズム(たる出版、2007年)』を私が読んで、わ〜、この方、素敵と思ったんですよ。母に話したら『じゃー今度、一緒に銀座の “毛利バー” へ行ってみよう』と言ってくれたんです。けど、会いたい気持ちが抑えきれず、自分1人で行ってしまって(笑)。当時、東京も銀座も1人で行ったことがなかったんですけど、なんとか辿り着いて。お会いしたらさらに素敵な人だな、と。」

毛利氏の経営する銀座の “毛利バー” を初めて訪れたのは、Powerを開いてからしばらく経った頃だった。超一流のバーテンダーが見せる所作、接客、立居振る舞い全てが格好良かった。何度か客として通ううちに、後進の育成にも力を注いでいる氏のもとで、研修生として出入りを許されるようになった。

“毛利バー”仕込みのステア。ガラス容器と氷の間の摩擦を限りなく無くすことで、とろりと丸みのある味わいになる。

「私にとっては神様みたいな存在で。毛利さんと同じ空気の中でお仕事をさせていただいているだけで背筋が伸びるというか。銀座のお店に立つと、お客様からの注文の仕方も「あ、そうくるか」と思いがけないことも多々あり、客層も全く違う。そういうことも含めて、どんなことにも全て対応できるようになりたいと思っています。常に勉強させてもらっている感じですね。」

店の定休日などを利用して足しげく通い、 “毛利バー”のカウンター内に立たせてもらいながら、カクテルの技術のみならず、バーテンダーとしてのふるまいや流儀、すべてを学ばせてもらった。そして、世界一美しいと言われる「毛利ステア(=カクテルを攪拌する技術)」を習得し、毛利氏の代名詞である「毛利マティーニ」をPowerで出すことを許されるまでになった。毛利氏の弟子の1人として、度々“毛利バー”へ通っては研鑽を積むことは、今現在も佐々木さんにとってかけがえのない時間になっている。

「貰った時は嬉しくて号泣でしたよ!」 毛利グラスのバッジ(上)は “毛利マティーニをPowerで出しても良い”という証。

バーの文化を魚津に

「これを作れる人になりたい」という想いだけで店を持ってから13年目の2020年12月、まさにコロナ禍中で、今は時期じゃないと周囲からの反対の声もあったが、持ち前の行動力で一心発起し、『Power』はついに、オーセンティックバー『BAR Power – GRAN』として移転オープンした。

「最初に開いた店の名前には『BAR』って付けなかったんです。当時はそれだけの技術を持っていなかったので。今のお店に移転する時に、毛利さんが掲げる“毛利ism”の志にあやかり、銀座の「MORI BAR GRAN」の店名から“BAR”と“GRAN”をつけさせてもらいました。
『BAR』を付けるまでに13年かかりました。私のなかで『BAR』という文字は、すごい意味のある言葉です。重いですね」

そして “オーセンティックバー” のバーテンダーとして腕を振るうようになった今、ひとつの大きな思いを抱くようになった。仕事の奥深さやバーそのものが持つ歴史や背景をより深く知るにつれ、その気持ちはどんどん確信になった。

トーク中とは一変、スッ…とバーデンダーの顔に。指先まで意識した所作は、どこか茶道の作法にも通ずるところがある。

「“魚津にバー文化を” というテーマが私の中にあります。バーで過ごす時間は、日常の中の非日常というか。普段出会えない人同士が出会えたりする、人とつながる場所だと思っています。また、ある人にとっては、たとえ時々にしか来られなくても、安心できる、帰れる場所であったりもします。それぞれにとっての物語がバーという場所で生まれ、それぞれにとっての特別な時間を過ごすのだと思います。そこに居るバーテンダーやカクテルは、人と人、人と時間をつなぐツールでありアイテムなだけの存在です。
このような場所を、私はバー以外に知らないんです。私はそんなバーが築いてきた文化を多くの方に伝えられる人になりたい。」

自身があの日、富山市内でバーに出会い、そこで過ごす楽しさを知り、バーテンダーとして生きる “きっかけ” をもらったように、今度は佐々木さんが誰かにとっての何か “きっかけ”になりたい、そして誰かの役に立ちたい、そう強い眼差しで口にする。これまでもずっと「よし、やろう」と決めたら有言実行し、より良い結果はすべて自分から引き寄せてきた。この先もきっとまた、目標だけを見つめて実現していくのだろう。

 最近はバーテンダー・佐々木麗を知る人がずいぶんと増えた。オーセンティックバーを好きな方はもちろん、まだ未経験な方も、魚津のバー文化発祥の地、『BAR Power – GRAN』の扉の向こう側へ、特別な時間を見つけに、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。


[註1]
毛利隆雄(もうり たかお)
銀座「MORI BAR」、「MORI BAR GRAN」のオーナーでありバーテンダー。福岡県出身、1947年生まれ。1984年、1985年の全日本バーテンダー協会主宰のカクテル・コンペティションで優勝、1987年にローマで行われた世界大会でテイスト&テクニック部門で世界一の得点に輝いた。独創的なアイデアで創り上げた「毛利マティーニ」の名を広く知らしめ、日本を代表する伝説のバーテンダーとして世界からも認められている。

銀座「MORI BAR GRAN」にて

実は佐々木さん…

値段って聞いてもいいの?

初心者には少し敷居が高いバーの世界。正直、お高いんでしょう?と訪ねてみると、チャージ料が1,000円、カクテルは1,000円ぐらいからとのことで、意外と大丈夫そう。お店で値段を聞くのはマナー違反では?の問いに「ぜんぜん聞いてください。例えばマティーニはいくらですか?とか。先にご予算をお聞きして、カクテルはお任せいただくというのも大丈夫です。」 知ったかぶりをせずに、ここは佐々木さんにお任せして、ぜひバーの良き愛好家に育ててもらうというのも楽しそうだ。

母がすごいんです

行動あるのみ!の佐々木さんだが、その影には彼女以上にポジティブなお母様の存在が大きい。二十歳過ぎでバーを開く時も、コロナ禍での移転を迷った時も、「チャンスがあるなら悩む必要はないんじゃない?、やりたい時にやるべし!」と、これまでの大きな人生の分岐点には、必ず力強く背中を押してくれたのだそう。「母、すごいんです。母であり、私のマネージャーです。」佐々木さんの豪放磊落な性格は、どうやら母親譲りのようだ。(※写真左から佐々木さん、お母様、毛利さん、一番弟子の渡邊さん/Power15周年記念にて)

幼いころから超アクティブ、超前向き

スポーツやアウトドアが大好きで、特にスキーは3歳のころからずっと続けているスポーツ。中学までは本気でオリンピックを目指していたほどで、中3の時に全国アルペンスキーで最高位7位という腕前の持ち主。だが、選手としては体の小さな佐々木さんは「あ、もう勝てない、無理だ」と、中学卒業と同時にスッパリと競技スキーから足を洗った。未練はなかったのかと聞くと「いや、ぜんぜん。高校ではダイビングに夢中でした(笑)」 …その頃からもう人生は楽しむものだと直感で知っていたようだ。

BAR Power GRAN へ行きたい!
スポット情報
 
BAR Power GRAN へ行きたい!
魚津駅から歩いてほんの5分。まずは一度訪れてみよう。カウンターでバーテンダーとのトークを楽しむのも良し、1人物思いにどっぷり浸るのも良し。テーブル席同士の間隔も十分なスペースがあるので、周りをさほど気にすることなくゆったりとした気分で大切な人との時間を過ごせそう。わからないことは佐々木さんに気軽に相談してみて。お酒好きなら絶対楽しめること間違いなし!

BAR Power GRAN バーテンダー 佐々木 麗 (ささき うらら)

場所 富山県魚津市駅前新町11-20 KMビル1F
TEL/FAX TEL 070.8401.6011
about 【BAR Power GRANの営業案内】
日曜定休。18:00〜25:00。
チャージ1,000円、カクテル 1,000円〜、お酒が苦手な方にもノンアルコールカクテル1,000円〜あり。葉巻の取扱いあり。
座席/テーブル12席、カウンター8席、貸し切りMax20名。
ドレスコード/カジュアル
(2023.9月現在)
Web/SNS https://power-gran.com/

https://www.instagram.com/power.gran/

 とにかく常日頃から「座っているのは食事の時ぐらい」という、いわゆるジッとしていないタイプの佐々木さん。2時間ほどお話しをうかがったが、衒いがなく清々しくも気持ちの良い人物で、なんというか “雑味がない” という印象だった。肩に余計な力が入っておらず、人や物事に対してデフォルトがノーガードなのだ。恐らくそれは商売がらというわけではなく、もともとの気質なのだろう。真っ直ぐで迷いのない言葉のやり取りは、まるで10代の若者のようでもあり、かと思えば大人の余裕と筋の通った人生観も持ち合わせている。きっとこの店に来る人たちは、無意識のうちに佐々木さんの根っからの“陽”の気を受け取っては元気を充電して帰るのだ。『Power』という店名は知人につけてもらったそうだが、インタビューのあと、まさに佐々木さんそのものをひと言で表すのに、これほど適した言葉は無いなと納得させられた。
 ところで私は下戸で、バーどころかアルコールにすらあまり縁がないまま半世紀を過ごしてきた。今回、縁あって佐々木さんを通してバーの世界をほんの少し垣間見たわけだが、日本でのバー文化はもちろん、洋酒の越し方、ラベルの美しさなど、全方向で興味深く、これを全く知らずに人生を終えるのはもったいないな、と感じている。バーでの過ごし方は人それぞれ、飲めない人もwelcomeとのことなので、ちょっと勇気を出して訪れてみようかな。
“飲めないチーム”のあなたも、まずは『BAR Power GRAN』から、バーの沼へちょっと足を踏み込んでみてはどうだろうか?

取材・ライター 舘 香都佐 (スタジヲ×4466、webデザイナー)
撮影      鬼塚 仁奈(tete studio works)
取材日     2023.8.9

[wp_ulike]

Copyright © 2020 Uozu Tourism Association Co.,Ltd All rights reserved.