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坪野城跡
松倉城を取り囲む支城群の一つ
坪野城跡は、旧坪野鉱泉裏山の山頂部(標高460m)に築かれており、位置的に松倉城を取り囲む支城群の一つと考えられています。当時、松倉から片貝谷に通じる山街道があり、この押えとすることも、築城の目的の一つであったと思われています。
山頂部には約40m四方の平垣部が設けられ、その両側に一段低い削平地がみられます。
山頂から三方へ伸びる尾根上に、それぞれ堀切が2~3ヶ所設けられ、山頂への通路を遮断しています。
坪野城は、史料にはその名が登場しませんが、江戸時代の文献によれば、椎名氏又は上杉氏の家臣が在城したとも伝えられています。
坪野城の周辺には、上杉謙信に関する伝説が多くみられます。例えば、謙信が松倉城を攻めたときの馬の蹄石、松倉城を遥かに望んで謙信が笠をぬいだという笠取山、馬揃えをしたという百間馬場、あるいは馬の訓練を行ったという馬の牧などがあります。
大菅沼の古老によると、百聞馬場に炊飯竈の跡がたくさんありました。このかまどは石を円形に並べたもので、昭和の始め城跡に送電鉄塔を建てる時に取り壊され、鉄塔の礎石に使われ、現在はわずかに石が転がっているだけで山林になっています。
坪野城は、松倉城の支城群で東の端に位置する天神山城との中間にあり、松倉城から3.5㎞圏内にあります。 ここには馬乗石があって、上杉謙信がこの上に立って軍勢の勢揃いをしたのだと言われています。この馬乗石は、今は村社にあります。大菅沼村社に平らで四角の石が現存します。 また、松倉城が落城したのは、坪野の老婆が城の水の手を密告した為であるという伝説もあります。
Information
場所 | 魚津市坪野 |
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交通アクセス | あいの風とやま鉄道魚津駅より 35分 新川広域農道の湯上の交差点で、県道136号線に入る北山鉱泉方面に向かいます。 4km先が北山鉱泉で、さらに1km先が坪野集落です。 |
市民バス | 坪野ルート(日・祝日運休):坪野 |
文化財指定など | 市の史跡 |
その他 | 【施設・設備】体験型 |
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